第1部:言語-連鎖(13:15-14:45)
松本卓也「「シニフィアンの論理」再考—ラカンにおける構造と歴史」
小倉拓也「部分的依存と半‐偶発—ドゥルーズにおける「連鎖」概念の行方」
第2部:政治‐分析(15:00-16:30)
上尾真道「忘却の政治:あるいは「書かれないことをやめない」ものの周りで」
山森祐毅「カフカ的スキゾ分析について」
全体討議(16:45-17:45)
(総合司会:福尾匠)
2016年はジャック・ラカンの大著『エクリ』(1966年)刊行50年に当たる。ドゥルーズとガタリの哲学が、精神分析とりわけ同時代のラカンのそれとの緊張関係のなかで形づくられたことはよく知られている。そこでこの記念すべき年に、現在の研究状況を踏まえ、三者の関係について深く思考しなおし、そこから新たな理論的および実践的な地平を開いていく機会を持つべく、私たちDG-Labは、新進気鋭のラカン研究者を招いて、ラボの公開実験「DG-Lac(an)」を開催する。実験である以上、キレイな成果が帰結することも、不発に終わることも、爆発することもあるだろう。
DG-Lac(an) というマテーム風のタイトルは、安直にもラボの名称であるDG-Labにかけたものだが、いくつかの含意、あるいは「深読み」を期待したものでもある。ドゥルーズとガタリをラカンとハイフンで分離し/繋ぐこと。Lacの音が喚起する欠如のニュアンス――ドゥルーズとガタリに欠けているものとしてのラカン? あるいはその逆? それともそのどちらでもなく? (an) が示唆するように、ドゥルーズは、ガタリは、ラカンは、それぞれ「ひとつ」なのかということ、そして「アンチ」を括弧に括ること。等々。
このような広がりを念頭に次の2つのテーマを掲げる。それぞれのテーマに簡潔な質疑応答の時間を用意した上で、その後、全体討議を行う。フロアを交えた討議で、議論を深めることができればと考えている。
ドゥルーズとガタリとラカンの理論的な交錯にかかわるものとして「言語‐連鎖」というテーマを掲げたい。このタイトルは、それが即座に喚起する言語活動やシニフィアン連鎖はもちろんのこと、さらには言語と他の諸現象との結びつきであったり、切断であったり、混信であったり、広く議論を波及させることを意図している。このテーマのもと、「言語と言語の外」の絡み合いという、古くさく思われるかもしれないが避けては通れないテーマについて、腰を据えて議論することを目指す。ゲストとして松本卓也氏(京都大学)を招き、DG-Labからは小倉拓也(大阪大学)が登壇する。
運動、集団、革命など、広い意味で政治や社会にかかわる観点からドゥルーズ、ガタリ、ラカンについて論じるものとして、「政治‐分析」というテーマを掲げたい。これも、「精神分析と政治」であったり、精神分析やスキゾ分析によって現代を分析することであったり、広く議論を展開させていくことを意図している。混迷を極める私たちの時代の、私たちの世界において、「分析」とは何か、何であるべきか。ここではそのポテンシャルとアクチュアリティを実験的に診断することを目指す。ゲストの上尾真道氏(立命館大学)とDG-Labの山森裕毅(日本学術振興会・立教大学)が登壇し、それぞれの観点から「政治‐分析」をめぐって議論を展開する。
主催:DG-Lab(ドゥルーズ・ガタリ・ラボラトリ)