マルディネ・シンポジウム「リズム」(於・明治大学)

去る2016年7月31日、明治大学 駿河台キャンパス(アカデミー・コモン 2階A5-6会議室)にて行われたシンポジウム「リズム」に小倉拓也さんが登壇されました。当日のレポートが公開されています。

7月31日レポート:シンポジウム「リズム」(明治大学人文科学研究所総合研究・現象学の異境的展開)

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第4回DG-Lab研究会活動報告

去る2016年7月31日(@長岡京)、第4回DG-Lab研究会が開催されました。今年度はドゥルーズとライプニッツをテーマに、該当著作を読み進めています。今回は、平田公威さんをリーダーに「『意味の論理学』におけるライプニッツの位置」と題した読書会を行いました。また、研究発表パートでは、山森祐毅さんによる「ドゥルーズにおける法と行為の哲学」をご発表いただきました。以下、当日の様子をご報告いたします。

 

【読書会】『意味の論理学』におけるライプニッツの位置(担当:平田公威)

はじめに平田さんによる『意味の論理学』全体の構成についての説明があり、ドゥルーズはライプニッツを肯定的に取り上げつつも、その最善世界説が否定されていることが確認されました。そして、本書全体としてはライプニッツ哲学ではなくストア派が重視されていること、特に第25セリーではライプニッツ哲学が換骨奪胎され、出来事の実践−知が提示されることになると平田さんは述べられました。次いでレジュメに沿って、ライプニッツの理論が重点的に議論される第16セリー、第24セリーの読解が行われました。

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平田公威さん(大阪大学)

当日の議論としては、物理的因果相互作用に生成という語が与えられているのは適切なのか、ライプニッツとホワイトヘッドの関係、篩と抱握(prehension)の議論について、個体が表現する世界および他の個体とともに共可能的に表現される世界と、UmweltおよびWelt、des événementsおよびEvénementとの関係性などが会場から挙がりました。

 

【研究発表】山森裕毅「ドゥルーズにおける法と行為の哲学」

続いて、山森裕毅さんによる「ドゥルーズにおける法と行為の哲学」と題された発表が行われました。山森さんによれば、法というテーマはドゥルーズ哲学にお いて一貫して論じられているものであり、また、彼の哲学の基軸のひとつであると考えられます。そして、ドゥルーズの法論の焦点が「行為」(action) にあることを示すことで、法についてポジティブに語りうる可能性を示すことが目指されます。

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山森裕毅さん

 

まず、山森さんは、『マゾッホとサド』(1967)には後年まで続く法のイメージが提示されているとし、そこからプラトン、カント、精神分析に即した法の理解を引出します。それによると法とは、次のようにまとめられます。

  1. より上位を持たない超越的なもの
  2. 具体的な事態を指し示さない純粋で空虚な形式
  3. その形式性ゆえに形式から逸脱したときしか姿を現さない
  4. それは罪と罰の付与という形で現れる
  5. この罪と罰が道徳の源泉となる

 

 

次いで法の議論は、『スピノザ:実践の哲学』(1981)においてさらに延長され、ドゥルーズは先に述べた超越的な法を批判するとともに、スピノザの自然主義から内在的な法という考えを提示します。それは受動と能動によって構成される身体を基盤に、その力能が最大限発揮されるまで進むことを肯定する倫理であり、これが命令や禁止による行動制限に主眼を置く超越的な法を批判する力をもっていると山森さんは主張されます。

さらにこの議論はカフカへと接続され、機械状インデックス、抽象機械、機械状アジャンスマンという概念装置によって実践=行為として展開されることになることが示唆され、ご発表を終えられました。

 

(小林卓也)