第6回DG-Lab研究会開催報告(その2)

【研究発表】 内藤慧「理念的なもののリアリティ ―初期ドゥルーズ哲学素描―(仮)」

研究発表パートでは、内藤慧さんによる「理念的なもののリアリティ ―初期ドゥルーズ哲学素描―(仮)」が行われました。ドゥルーズ哲学において、「理念的なもののリアリティ」がいったい何を意味するのかについて、ドゥルーズの初期著作を参照しつつ、理念と実在(現実)の関係という観点からこれを明らかにすることを目的とされています。ドゥルーズはきわめて初期の段階から晩年に至るまで、理念的なものの存在論的な地位、その特異な性質について、さまざまな哲学的議論を用いつつ論じています。「理念」ひとつとっても、プラトン(イデア)、カント(統制的理念)のみならず、ヘーゲル、マルクス、プルーストなど、さまざまな哲学史的文脈、文学的議論が含まれており、最重要かつ重大な論点のひとつであると思われます。

 

内藤さんの整理によると、ドゥルーズにとって理念は、いくつかの相関項(概念)との対比によって考えられています。まず、とりわけ『意味の論理学』に見られるような、ストア派の議論を用いた、理念とその現実化(実在化)という対比が挙げられます。この対比的に捉えられる理念的なものと現実的なものは、出来事とその実現された「事故(偶発事)」、存立すること(insister)と現実存在すること(exister)、非物体的なものと物体的なものとの対比に見られるように、互いに存在論的に区別されています。さらに、内藤さんは、この区別が『差異と反復』における時間の第一の総合と第二の総合とのあいだにも認められると主張されます。(プラトン主義的解釈から明らかなように)理念が現実に対する根拠であるのと同様、『差異と反復』の時間論においても、理念的存在としての純粋過去は、諸現在に対する根拠として位置づけられているからです。

しかし、ドゥルーズにとって理念は、現実と対比をなすだけではありません。むしろ、理念それ自体が「リアル」である、実在性を持つとされる箇所が見られます。それは『意味の論理学』において、既知のゲーム(シニフィエ)に対して、理念的なゲーム(シニフィアン)が思考そのものの実在性であると言われていることから分かるように(さらに、クロノスとアイオーンという時間論的な区別もまた、この区別に対応しています)、ここでは、理念と実在との関係は、対立というよりもむしろ、協調的な関係として理解されています。

 

ここから内藤さんは、では、「理念的なものが実在性をもつ」とはどういうことなのか、これを明らかにすべく、『意味の論理学』における意味論、および、『差異と反復』における問題と解の関係に着目されます。意味は、肯定命題と否定命題をともに根拠付ける〔正確に言えば、真と偽に対して中立にある命題そのものの意味を前提としてはじめて、その真理値を確定することができる〕ものであり、また、問題は、個別の解を発生させる根拠としての客観性を持つ。この意味で、意味や問題は、ただ、それが生得的に前提される、あるいは、想起されるべき対象としてその理念性が担保されているだけでは不十分であり、むしろ、そこから、「現実的なもろもろの解が発生、産出される場」として理解されるべきであり、理念としての意味や問題は、そうした(思考の)生殖性という観点から考えられるべきではないかと内藤さんは主張されます。

そして、内藤さんは、こうした理念からの現実の発生の問題を、ドゥルーズの超越論的経験論における諸能力の超越的行使の議論から考察されます。すなわち、カント的な諸能力の共同〔協働〕的な行使に対して、その超越的行使は、感覚されるしか可能でないものとしての出会いの対象を現前させるとともに、これによって、感性それ自体を〔感覚することしか可能でない感性という〕内在的な形式として発生させる。超越論的経験論において、出会いの対象(内藤さんはこれをシーニュとも呼びます)が、感性や思考を内在的に発生させる(生殖性)ものであるように、それを介して命題や解が発生する場である意味や問題といった未決定状態としての〔あるいは中立、中性、不毛である〕理念的なものは、まさに、諸能力の超越的行使の対象であるということです。ならば、ドゥルーズにとって、こうした能力の発生こそが、可能的経験から区別されるべき「リアル」な経験と呼ばれるものではないか。つまり、「意味や問題を対象とする諸能力の超越的行使によって能力が発生する」ことで、必然的に変化を含んだ〔発生した〕経験こそが、ドゥルーズにとっての実在的経験なのではないかと内藤さんは論じられます。理念を介して発生する次元としての「経験のリアリティ」(生殖性)、すなわち、感性や思考の発生を担うということこそが、ドゥルーズにおいて「理念的なものがリアリティをもつ」ということの意味ではないかと締めくくられました。

*****

発生論に関しては、今後、マイモン、フィヒテといったポスト・カント派の議論も視野に入れるとともに、芸術論を含めた感性論へと展開される企図も述べられていました。今回のご発表は、内藤さんの卒業論文の一部となるそうです。

(小林卓也)

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