第1回DG-Lab研究会開催記録(その1)

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先日、DG-Lab第1回研究会が長岡京市中央生涯学習センターにて開催されました。当日は、遠方からお越し頂いた方を含め、総勢15名の方々に参加して頂きました。皆さん、仔細にドゥルーズのテキストを読み込んでおられる方ばかりで、非常に有益かつ楽しい時間を過ごすことができました。

【読書会】於:第2会議室(6F)13時〜

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小倉拓也さんをリーダーとし、『意味の論理学』第13セリー「分裂症者と少女」を講読していただきました(当初予定していた第27セリー「口唇性」は時間の都合上次回に延期されました)。

小倉さんが主張されるように、『意味の論理学』が言語活動の可能性の条件を探求する書物であるとすると、ストア派とキャロルに沿って論じられる「静的発生」(第二次組織化、第三次配列)と、アルトーとメラニークラインが援用される「動的発生」(第一次秩序)がこの書物の格子を構成しています。

今回取り上げた第13セリーは、静的発生が前提とする「意味」の次元、すなわち、物体(音)と命題(語)を区別する境界線(ドゥルーズはこれを表面とも呼びます)が破綻し、その下に物体的深層が露呈する場面が、キャロルとアルトーの対比、相違を検討しながら論じられる部分です。また、小倉さんの指摘どおり、ここにドゥルーズのキャリア上はじめて「器官なき身体」概念が登場します。

小倉さんは、テキストを丁寧に読解しつつ、倒錯(キャロル)と分裂症(アルトー)の対比だけではなく、分裂症者の身体的妄想(寸断された身体や分離した身体)と器官なき身体は明確に区別すべきであるということをとりわけ強調されていました。ドゥルーズの企図は、区別すべきものを適切に区別し、区別されたもの同士の関係を明確にすることであり、小倉さんの読解はここに焦点が当てられていたように思われます。そして、キャロルとアリスとアルトーの区別だけでなく、例えば、アルトーと同じ分裂症者に括られるウォルフソンの言語行為がどこに位置づけられるのかということが問題となりました。

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会場の方々からも、『批評と臨床』で言及される『バートルビー』や『白鯨』における言語活動について、さらには、「第一次秩序」という時の「秩序(ordre)」に何か含意はあるのかなど、さまざまな観点から興味深い議論が展開されました。

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次回は第27セリー「口唇性」を読みたいと思います。この部分は小倉さんが丹念に追われているメラニー・クラインの幼児の精神分析が積極的に援用される部分であり、(さまざま問題はあれど)ある種、ドゥルーズが、クラインによる幼児の発達段階に準拠して言語活動の獲得(発生)過程を論じる箇所です。そして、今年度のテーマである器官なき身体は、この言語活動の獲得(発生)過程において重要な役割を果たすことになります。

(小林卓也)

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